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第231回 ブラック ベア

今朝のパブリックラジオで、ミシシッピのブラック ベアはその数がこのところ減少し続けていたのですが、最近少しずつその姿が確認されてきていているとのことでした。アーカンソーからミシシッピに移ってくるブラック ベアも確認されているとのことです。ブラック ベアはグリズリー ベアと勘違いされ殺されるケースが多かったらしく、自然保護機関やパークサービスの人たちは正しい情報を市民に伝えたり、学校で生徒に伝えたりしているようです。

実はこの放送はとても偶然でした。昨日テニス友達とお昼を食べながらいろいろな話をしていたのですが、その一人がファーマーがブラック ベアにスイカを荒らされて困っているというのです。でもその様子をきいて私は農家の人には申し訳ないのですが思わず楽しくなってしまいました。といいますのは、ブラック ベアはスイカを抱えてどこかに持ち去ろうとするらしいのですが、途中で落としてスイカが割れるとそれはそのままにしてまた新しいスイカをとって持ち去るので割れたスイカが散在するらしいのです。クマが両手にスイカを抱えてよっこらしょと歩いていく姿を想像してみてください。そしてスイカを落としたときのシマッタという表情も。どうしても微笑んでしまいますよね。

8/23 2002

第232回 嗜好の変化

10歳にならない時期、10代、20代、30代、40代と歳を重ねるにつれていろいろと嗜好も変化してきたようです。味の好み、着るもの、読む本、そして考え方、物の見方にいたるまで何かしら変ってきたような気がします。でも以前好きだったという記憶は残っていますので自分の過去を振り返ったとき、その過程で起きた変化を興味深く感じることがあります。嗜好の変化はなにがきっかけで生じるのでしょうね。

様々な経験、めぐりあった人からの影響、世情の変化、身の回りで起こった出来事などいろいろ関係しているのかもしれません。ただ食べ物の嗜好の変化は前記した理由とは関係ないような気がします。子供の頃嫌いだったいくつかの食べ物が大人になって好物になったりするのは不思議です。まだめぐりあっていない人、事、そして物は無限にありますから、これからも嗜好の変化は続いていくと思います。あくまでも理想ですが、歳を重ねるにつれて、人間としての深み、味わい、慈悲心がでてきてくれればと思っているのです。これは思っていても出てくるものではないような気がします。

8/24 2002

第233回 車の手入れ

東京でアパート住まいをしていたとき、向かいに個人のお宅があったのですが、毎週日曜日になるとその家の息子さんは必ず車を洗い、ワックスをかけてピカピカにしていました。日本の街中で見る車はみんなきれいに手入れをされていて感心してしまいます。アメリカでワックスをかけている人を見るのはごく稀です。お店にはちゃんとワックスなど車の手入れ用の製品はたくさん売られていますが、隣人をみてもワックスがけはおろか、洗車している隣人を見たことがありません。

私は年4回ワックスをかけています。洗車はちょっとよごれたら自分で洗ったり、ガソリンスタンドの自動洗車にかかったりします。夫が出張中ということもあり、昨日今日夫と私の車のオイルチェンジ、年一回の車検(5ドル)のリニューアルをしたので、いいきっかけと思い洗車、ワックスを明日することにしました。明日の朝は少し涼しくなるという予報がでたからです。それでも相当暑くなると思いますので汗まみれになるのを覚悟で行いたいと思っています。

8/26 2002

第234回 ソバカワピロー

歳だからといったらそれまでですが、このところ眠りが少し浅いような気がします。また寝ても若い時のような深い満足感が得られず物足りない気持ちがします。深い眠りに関する情報が目についたとき、注意するようになりました。

ある日、ホームショッピングネットワーク(HSN)で「ソバカワピロー」という製品を紹介していました。実はこれは「そばがらの入った枕」です。だれが「ソバカワ」に変換してしまったのかわかりませんが、いかに「ソバカワピロー」が快眠を与えてくれるか様々なテストを実況しながら説明してくれて、私はすっかり気に入ってしまいオーダーしてしまいました。昨日枕が届いてその夜早速その枕をして寝てみましたら、気のせいか今朝は今までより眠りに対する満足度が高いような気がします。今晩また寝てみて明日の具合をみてみましょう。はたして、「ソバカワピロー」は快眠の鍵となるでしょうか。

8/26 2002

第235回 夏目漱石 (その1)

漱石書簡集(岩波文庫)を寝る前に少しずつ読んでいるのですが、漱石氏(小説家の名を呼び捨てにはできないですね)の人間味ある手紙文にどんどん惹かれてしまっています。氏の小説はあまり読んでいないのですが、この書簡集を読み終わったら改めて読み直してみようと思っています。特に奥さん(鏡子さん)に出した書簡の中には夫として、父親としての氏の気持ちがあたたかく感じられます。抜粋です。

 (滞在中のロンドンからの手紙の中から)
・・・金が足りなくて御不自由これもお察し申す。しかし因果とあきらめて辛抱しなさい。人間は生きて苦しむための動物かもしれない。・・・・小供の性質は遺伝によるは勿論であるが、大体六、七歳までが尤も肝要の時機だから決して瞬時も油断をしてはいかん。なるべくスナオな正直な人間にするように工夫なさい。・・・

読みながら私の父のイメージが重なってしまいました。
 次回また続きを・・・・

8/30 2002

第236回 夏目漱石 (その2)

また奥さんに宛てた手紙からの抜粋です。電話でもない、Emailでもない、手紙だから現せる気持ちというのがあると思います。

・・・ 鏡どの   学問は知識を増すだけの道具ではない。性を矯めて真の大丈夫になるのが大主眼である。真の大丈夫とは自分の事ばかり考へないで人のため世のために働くといふ大な志のある人をいふ。・・・・今の内の一挙一動は皆将来実となって出てくる。決してゆるがせにしてはいかぬ。人間大体の価値は十八、九、二十くらいの間にきまる。慎み給へ励み給へ。・・・

こんな手紙を夫からもらった妻は気がひきしまりますね。

・・・鏡どの   留守中色々多忙にて困難のよし委細の様子相分かり候。甚だ気の毒の事ながら今少し辛抱可被成候。いづれ今年末には帰朝のつもり故その後は何とか方法も立ち少しは楽になるべくと存候。しかしおれの事だから到底金持ちになって裕福にはくらせないと覚悟はしていてもらはねばならぬ。・・・日本に帰りての第一の楽みは蕎麦を食ひ日本米を食ひ日本服をきて日のあたる縁側に寝ころんで庭でも見る、これが願に候。それから野原に出て蝶々やげんげんを見るのが楽に候。・・・

日のあたる縁側に寝ころんで庭を見る、野原を歩く。
私もこれが楽しみです。

9/02 2002

第237回 ひらめき

甘い物が好きなのですが、和風の甘味が好みです。チョコレートもアイスクリームもケーキも食べられなくても全然困りません。あればいただきます。日本の甘さを抑えた軽いクリームのケーキは好きですがここにはありません。こちらのケーキの甘さは半端でないのです。どうしてこんなに甘くつくれるのかと思うほどです。クッキー、ブラウニーにしてもかなりヘビーな甘さとカロリーを感じます。

さて和風甘味を好む私は乾燥したお豆は貴重です。こちらでもキドニービーンズ、ブラックビーンズなど日本の煮豆にすることもできる乾燥豆があるのですが、何となく口当たりが違うような気がします。さて、久しぶりに小豆を甘さを少し抑え目にして、粒粒を残しながらあんこのように煮あげました。その後ふとひらめきが起こり、平らにして小口に冷凍して少しずつ食べることにしました。そうでないとすぐ食べてしまうからです。さて冷凍庫から出した餡をためしにそのままかじってみました。これがとても美味しいのです!まるで氷小豆と小豆アイスが合体したような!実に美味いのです!

9/04 2002

第238回 動物病院にて

老猫のクロがこのところ耳を異常に掻く仕草をするのでアニマルメデイカルクリニックに連れていきました。なんでも耳にインフェクションをおこしているとのことで、飲み薬と耳のクリーニング液、それに耳にさす軟膏をもらってきました。飲み薬を与えるのはやさしいのですが、耳にクリーニング液をいれ、もんで、それから軟膏をさすというのはそれこそ大仕事です。まずシーツをあたりにしきつめ(耳に液体をいれるやいなや首ふりが始まりますから液が飛び散るのです)、ガード用眼鏡をかけ、タオルを2枚くらい用意していざというときに備える。一週間治療して、またDRにみてもらうことになります。

待合室で出会った犬はひじから下が麻痺して使えない障害をもった犬で、這うようにして移動していますが、目が澄んでうてとても行動的な犬でした。障害をもって生まれたそうです。それから目が見えない犬も来ていました。ここでちょっと何か違うような気がしたのです。それは障害をもった犬も、その飼い主も、周りの人たちも全くそれが障害と感じることなくごくあたりまえの雰囲気があったということではないかと思いました。犬は自分が障害を持っているとは感じていないと思います。飼い主も自分の犬をかえって誇らしく思っているようでした。すがすがしい気持ちがいたしました。

9/06 2002

第239回 本物嗜好

私は自称本物嗜好です。ですからルイ ヴィトンもシャネルも持たないし、宝石も持ちません、いや持てませんが正しいかもしれません。この場合の本物嗜好はいろいろに言い換えられます。随筆が好きだというのもその一つだと思います。随筆は作者自身の本当の気持ちを、作者自身のことばで示されていますから本物です。そういう意味で、あまり小説が好きでないのかもしれません。人についてもいえます。本当に自分を出してくれる人ですと安心してお付き合いできますが、どうも本来の姿が後に隠れているような人とはおつきあいもぎこちなくなりますし、長続きいたしません。

知識においても、知識とは書物、人聞き、様々な媒体から取り入れた情報や事実から脳に取り込んだものの蓄積がほとんどだと思います。ですからいろいろなことを知っているというのは他かから取り入れた情報や事実をいかに知っているかということで成り立つのだと考えます。そういう意味で私は他から取り入れた知識よりも自分で五感で感じた事実を大切にしたいと思っています。これらは自分にとって本物だからです。実は覚えるのが苦手なことがあるからかもしれませんが・・・。

9/09 2002

第240回 911

9月にはいって以来国内、国外で昨年の9月11日の話題が大きくとり上げられてきています。アメリカのテレビでもドキュメンタリーや討論会、様々なアングルからこの話題をテーマに放映されています。飛行機がビルに飛び込んでいった映像は今観てもあの当時の瞬間に感じた恐怖と驚きが甦ってきて思わず目を覆ってしまいます。NYからこんなに離れた南部の田舎でも、いまだに星条旗がたくさんの家々に掲げられています。

911は日本でいう110番にあたり、緊急の際電話で911にかけますと警察や消防署へつながるわけですが、テロの組織はあえてこの日を選んだのでしょうか。様々な討論、意見が出されてこれから一体どうなっていくのだろうかと思う時、なんだかはっきりとした解決がみられないような不安な気持ちがしてしまいます。宗教の関わる問題だけに複雑です。やりきれない気持ちになると、庭にでて空を見上げたり、餌場にやってくる鳥達、家の前に寝ている我家の猫達に目をやりますと、心が少しずつ和らいできます。定かでない将来の不安は考えずに、日々送るしかないと思っているのです。

9/11 2002

第241回 ケンちゃん

ケンちゃんはとても神経質で私をみるとすぐに走って行ってしまいます。でもどこか孤独の陰を秘めていて私としては友達になりたいので朝夕とパンをある場所に置いているのです。そうしますといつのまにかパンはきれいになくなってしまっているので、「ケンちゃんがやっぱり来たんだ」となんとなくホッとするのです。ケンちゃんは金茶色した細身の身体にふさふさした長いしっぽをもった北キツネならぬ南部キツネです(正式名称ではありません)。このところ裏庭によくでてきては水を飲んだり、散歩したりしています。冬にはよくみかますが、普通夏にキツネにはあまり出会いません。

夕方居間の横のデッキでアライグマがナッツを食べていたところにケンちゃんがやってきましたら、アライグマに追い返されてしまっていました。アライグマはキツネの上をいっているようです。犬を恐れる我家の猫達はキツネに対しては恐怖心はないようで、寝たまま「またアイツがきてる」といったように横目で見るだけです。アライグマはトイレをみんなで決めているようでたくさんいるのに庭に彼らの落とした゛もの"はありませんが、ケンちゃんはよく落し物をするようです。これは犬に近いところがありますね。これからもいろいろとケンちゃんを観察していこうと思っています。

9/13 2002

第242回 Kenちゃん

土曜のお昼近く、夫が「Kenが来てるよ」と小声で私をよびました。Kenはまだ庭の恥の方にいてガレージをうかがっています。私は急いで猫缶食をあけて、ドライフードをお皿にあけて音を立てないようにガレージから家に続くドアを開けて床に置きました。Kenはまだ様子をうかがっており、慎重にあたりを見回しています。5分ぐらいたってようやくガレージの入り口にやってきて、まだ中をうかがっています。そしてまた待つこと5分ほど、やっと中に入っていきました。

一口食べてはガレージの入り口にもどって用心深くあたりをみわたしてまた餌のほうに戻っていく動作を何度も繰り返し、やっとガレージからでてきて玄関前のデッキのうえで毛づくろいをはじめました。夫と私は硬直したように家の窓からKenをみつめています。Kenにはかなり蚤がいるらしくさかんに歯で皮膚を掻いています。しっぽの毛は大分抜けてふさふさしたキツネのしっぽとは思えない程です。でも我家で食事にありつけることが分かり、毎日お昼頃にやってきてご飯をたべて、ちょっとゆっくりして公園の茂みに帰ってゆきます。冬になる前にしっかり毛が生えそろってくれればと思っているのです。

9/16 2002

第243回 今日庭で、

なんだか夏がここを去るのをいやがって必死にしがみついているような感じの天気です。今日の日中はかなりの暑さでした。さて、今日庭ではいろいろなことがありました。まず、裏のツツジに水をあげようとホースを片手に下がった枝をくぐりながらいきますとちょっと向こうにみなれない物体が見えたので近づいてきましたら、獣のの死骸で、すでに白骨化しており、そばに毛皮もありました。頭の骨格からみますと鼻先が尖っていたのでパッサムか、キツネのように見えますが、毛皮を見ますと違うような気がします。こちらの生活の中で動物の死骸に出会うことはよくありますが、白骨化した状態は初めてで、不思議な思いがいたしました。

それと、ハミングバードを日本ではハチドリといいますが、本当に今朝は蜂の巣をつついたように何十匹というハミングバードが砂糖水に集まってきていて、アッ言う間に砂糖水を空にしてしまいます。夏を北で過ごしたグループの南下が始まっていて、彼らの燃料補給、それとここのこれから旅発つグループがこれも燃料調達に懸命なのでしょう。1リットルの砂糖水を明日のためにまたつくりました。それと、何の鳥か分かりませんが空中出産が行われたのか庭の真中に(木の下なら分かりますが・・・)鳥の卵がひとつポツンと落ちていました。今日もお昼頃Kenちゃんはやってきてご飯を食べていきました。我家の庭では色々なことが起こっています。

9/18 2002

第244回 世代をこえて

昨日5人の女性が集まってお昼を一緒にいただきました。メンバーはドロシーさん、レイコさん、テルコさん、ケイコさん、そして私です。興味深かったことは50代を除いて40代、60代、70代、80代の女性の集まりだったことです。そして各々はもしVicksburgに住んでいなかったら絶対に会うことがなかったということです。お昼を食べながらのお話はそれはいろいろなテーマが飛び交いました。

ドロシーさんは戦後まもなく日本にミッショナリーとしていらして20数年日本で英語の教師をしていましたのでその頃の日本のお話や、Vicksburgの昔の街の様子などをしてくださいました。テルコさんは物理学の博士号を持っていて原子や宇宙の話を私達にわかりやすく話してくれました。年長者が分からない現代のことは40代の私達が説明してあげたりとあっという間に時間が経ってしまいました。世代をこえた友達の付き合いというのはとても楽しく、いろいろと教えたり教えられたりすることがあるようです。とてもいい一日でした。

9/20 2002

第245回 まだまだ蒸します

もう十五夜だといいますのに蒸し暑さが続いています。ハリケーンのシーズン到来で北の冷たい空気に南の暖かい空気が呼ばれてあがってきているらしく湿気の多いあたたかい空気が当地をおおっているようです。このところ曇り空で雨もしとしと降る天気ですので外猫たちは過ごし辛そうにしています。早くカラッとした秋晴れの涼しい気候になってもらいたいものですが、こればかりはどうにもなりません。

スーパーでは色とりどりの南瓜やスクワッシュ、ナッツ類が並び、お菓子売り場では少しずつハロウィーンのお菓子のコーナーも設置されました。また子供のハロウィーンの衣装もみられ、少しずつ秋から冬にかけての楽しいお祭りの雰囲気が盛り上がってきています。雑誌の特集もThanksgivingの料理特集、クリスマスの飾りつけ、秋のフラワーアレンジメントなどのタイトルが目をひきます。来週あたりから、家の中の小物を秋のものに変えようと思っています。

9/23 2002