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第116回 いろいろな緑色

庭に出て当たりの草木を眺めたときにこんなにもいろいろな緑色があるもんだなあと驚くことがよくあります。そしてこれほどたくさんの緑色が混じりあってもきれいに目に映るというのも不思議だなあとおもいます。 たとえば様々な紺色を使ってファッションをコーデイネートしようとするととても難しいものです。 同系色同士が反発するように見えます。 ところがこれほどたくさんの緑色を景色として同時に見ても全く気になりません。

その昔、様々な色には日本独特の名前がつけられました(萌黄色、なんて美しい響きでしょうね)。今でも着物の色の名称として使われていると思います。今度緑色にどのくらいの種類の名前があるのか調べてみようと思っています。今庭の緑はだんだんと黄色やオレンジ、茶などの暖色系が混ざってきてその色合いが一日ごとに変ってきております。

2001 11/09

第117回 バイリンガル猫

我家の猫たちはバイリンガルです。 私が何か日本語で言っても、英語で言ってもきちんと理解します。 感心してしまいます。どう使い分けしているか自分では分からず、そのときの気分で日本語になったり、英語になったりします。我家の猫のほとんどは日本名がつけられています。それも2字が基本。 ハナ、スミ、クロ、タマ、トラ、タビ、マミ、、、、。ですが二文字なので名前を呼ぶと同じように響くのか、皆が皆呼ばれていると思って皆が集まってきてしまう欠点があります。

それと猫の面白い性格(全ての猫にあるわけではないようです)に、例えばある猫がいたずらして小言を言っていると、そばにいた猫がしかられている猫に「だめじゃないか」とでも言うように叱られている猫に対し私と一緒にうなったり、手を出したりすることがあります。 またしかられている猫はきちんと分かっているようでそのときは反省しているような顔つきになります。 でもすぐに忘れてしまうようです。 チンパンジーの知能力を測るリサーチのドキュメンタリーを観たことがありますが、チンパンジーだけでなく動物には計り知れない能力があると私は思います。

2001 11/12

第118回 このごろ困ること

園芸店にて芝や植木の肥料を買うときよくこのようなことがパッケージや袋に書かれています。「雑草コントロール」「虫予防」。 このような但し書きがない肥料を探すほうが難しいこのごろです。 肥料も、もしオーガニックでなかったら科学肥料となるわけで、これ自体、実際は自然に対しよくない物質になるわけです。これに雑草コントロール、昆虫コントロール用の科学薬品が加わったらそれこそもっとよくないと思うのです。土に撒くものは雨水によって下水に流れ込み、いずれは私たちの飲料用水、また他の自然の動植物にも影響がでてくるわけですから。

また私の場合、野鳥と共存することを楽しみにしているので彼らの餌となる昆虫が病気であっては困るわけです。病気の虫をたべたら鳥も病気になる可能性があるわけですから。とにかく人間が自然に対して加える時、それがどう影響していくかということをやはりきちんと考えなければいけないと思います。 自分本位という考え(以下に楽になるか、以下にお金を節約できるか、、、)はどうしても出てきてしまうものです。そういう時は子供たち(自分の子供も含めて)の将来への影響を思い浮かべてみたらどうでしょう。 そこに大きなつけが返ってきてしまうかもしれないと思うのです。でもこう申しますと理想を語るのは簡単だと言われてしまうかもしれません。

2001 11/14

第119回 野生の生き物たち

野生の生き物たちは人目に触れないところで生まれ、成長し、生活しながら最期を遂げることになります。自然の中で生まれ、そして死んでゆく彼らの生はそれは必死で、過酷なものだと思いますが自然と一体化して一生を終えるということは、なんとなく理想的な生き方とも思えるような気がいたします。 精一杯、生きることだけを目的とした生だと思います。 私の生活の中では食べるものはいつもそばにあり、安心して眠れる場所もあり、寒ければ防寒の服を着、暑ければ冷たいものを飲んで一息つくこともできます。 調子が悪ければ薬を飲んだりDRに診てもらうこともできます。

野生の生き物たちは与えられた環境に対し不満も言うこともなければ、自分の身の不幸を嘆くこともしません。すべてをそのまま受け入れて生きて、そして静かに死を迎えるように見えます。ですから私は人がなんと言おうと彼らが人間よりも劣っている、人間は他の生き物よりすぐれているという考え方がどうしても出来ないのです。 それで、もう不満は言うまいという気持ちになるのですが、まだまだ未熟な私は、度ごとに野生の生き物たちのことを思いながら反省している自分を恥じているのです。

2001 11/16

第120回 すってんころり

今年の夏は去年に比べ降水量があり、木々もとても元気に見えます。そして樫の木はそれはたくさんのドングリの実をつけました。そしてそのドングリがたくさん庭に落ちているのですが、地面が固く乾いているのでよくドングリに足をとられてすってんころりんと転ぶことがよくあるので困ります。そこで、ドングリを拾ってしまおうと考えてバケツを抱えて庭にでたのはいいのですが、拾いはじめてボーッとしてしまいました。 どう考えてもあまりにその数の多さに拾い集めることは不可能だと思ったからです。リスももう食べきれないのでしょう、そして埋めるにしても多すぎて彼らももてあましているようです。

アライグマや鹿、パッサムなどが食べてくれるといいのですが、どうも彼らは興味がなさそうです。 木の実には油分があって、例えばくるみのオイルなどは食材として使われていますが、ドングリはどうなのでしょう。 うまく精製してドングリ油として利用できないものでしょうか。 無限にころがるドングリの実をみつめながらあれこれ考えている今日この頃です。それにしても転ばないように気をつけなくては、、、、。

2001 11/19

第121回 てんとう虫救出作戦

今年もまたこの時期がやってきたなあと寝室の天井に近い壁を見上げながら独り言を言いました。てんとう虫救出期間です。多分アテイックに産み付けられたてんとう虫が成虫となって明かりを頼りに寝室にでてくるのではないかと思うのです。でも一種類でなく背中の模様を見ますと4,5種類のてんとう虫です。寝室の天井は傾斜があって高くなっていてはしごをかけても届きませんので彼らがおりてくるのを待つしかありません。ですから一日に何匹かしか救出できないのです。

てんとう虫を平らな表面で捕まえようとしてもつるつる指がすべって到底無理です。ですから薄いしっかりした紙(はがきのような)で救って手のひらにのせ外に出します。上のほうに窓があるのでそちらに向ってしまうのでなかなかおりてこないので困ります。弱ったてんとう虫は蜂蜜をひとしずくおいたたいらな小皿にのせますとなめているようです。そして元気が回復した頃を見計らって天気のいい日に外に放します。かなり根気のいる作業ですが、てんとう虫は庭には欠かせない良虫なので面倒見て守ってあげたいと思っています。

2001 11/21

第122回 この静けさは

この3,4日餌台の餌の減り方が極端に少なくなり、またいつもピーチクパーチクにぎやかな雀の声がピタリと止んでいます。この静けさはいったいどうしたのでしょうか。ひとつだけ思い当たるふしがあります。ちょうど一週間くらい前でしたでしょうか、夕方、鳥の水場をそうじしたり餌台に餌をおいたりしているとき、バサバサと大きめの鳥が頭の上を飛んでいき、近くの木の枝に止まりました。そのときにぎやかだった雀の声がピタリと止んだのです。多分肉食の鳥(隼くらいの大きさ)だったと思うのです。

野鳥に詳しい方からずっと前にお聞きした言葉がとても印象的で今でもよく思い出します。もし野鳥を庭に呼びたかったらまず雀を呼ばなくちゃ。というような言葉だったと思います。このところの雀の数は大げさでなく百匹はいたと思います。とにかく餌の消費はかなりのものでした。彼らが住む場所を移動してからというもの餌の減り方がガクンと落ちました。彼らのにぎやかなおしゃべり、そして水場での楽しそうな水浴びの光景がとても懐かしく、今この静けさがとても寂しく感じられます。

2001 11/23

第123回 一匹のアライグマ

多分病気なのだと思います。今年の春生まれたようでまだ小柄な一匹のアライグマがよわよわしく歩いています。餌を食べるのもゆっくりとした動作で呼吸も速いように見えます。私が近づくと逃げてしまうので遠めにみるしかありません。兄弟や親とは離れていて単独で行動しているようです。なんともかわいそうなのですが、どうにもできません。できることとして、来たら餌をあたえてあげることくらいでしょうか。

猫の行動をみてもそうですが、例えばルーシーは今病気と闘っていますが、他の猫たちはルーシーが普通でないということを察するのか近づきませんし、いたづらをすることもありません。遠巻きに見ているように見えます。この病気のアライグマにも同じ事がいえるような気がします。アフリカかどこかの国で病気になった象が集まる場所があると聞いたことがあります。その場所には象の骨が散乱していて死期を迎える象はそこにいって死を迎えるとか。この小さなアライグマ、ひとりぼっちでこれからどうするのでしょう。多分この冬は越せないような気がします。なんとも言えない気持ちがいたします。

2001 11/26

第124回 だんだん遠くが

木の葉が大分落ちて、木のフレームがはっきりしてきました。そして木の葉で隠れていた景色が視界に現れてきてだんだん遠くが見えるようになりました。ハワイなどの南国の土地は一年中がほとんど一定して同じ気候だと聞いていますが、私は住むならやはり四季のあるところで暮らしたいと思います。テキサスで3年ほど暮らしましたが、そこは木が少ない海辺の街でしたのでどうしても馴染めなかったような気がします。

私の故郷も四方を山に囲まれ、また街中にも木々が多く、はっきりと季節の移り変わりを感じながら生活していたので、日本からいきなりVicksburgに移ったときもこの街の中の自然のお陰ですぐ街に馴染むことができたような気がします。私の場合やはり住む環境に馴染めないと生活自体に落ち着きが生まれないことが分かりました。まだ木の葉は少し残っていますが、すっかり落ちてしまいますと木の骨格だけがずっと向こうのほうまで見えてしっかり冬の景色となるのです。

2001 11/28

第125回 例のアライグマ

先日お話した病気のアライグマが今日フラフラとまた前の道をお昼頃歩いていたので、なんとか捕獲しようと思い、まず、大きめな魚とりのネットで捕まえようとしましたが、だめでした。次に猫を獣医さんに運ぶプラスチックのコンテナの入り口をアライグマのすぐ前において私は木の陰に隠れて見ていました。 洞穴かと思ってか、用心深く少しずつ中へ入っていき、身体がおさまったところですばやく扉を閉めて捕獲に成功しました。

今日は祝祭日で獣医さんは休みですし、夫と相談してこれだけ弱っているんだからやはり自然の中で最後まで過ごさせるのがいいだろうということになり、二人で裏の雑木林にコンテナを運びました。私は胡桃、猫のドライフード、それにブドウをすこし食事として持ってついていきました。かなり奥まったところに洞穴のようなところがあり、ここならいいだろうとそこにコンテナの入り口をあけておいて、その前に餌をおいて戻りました。明日コンテナをとりに行こうと思います。夜になった今でも気になっています。

2001 11/30

第126回 例のアライグマその3

コンテナを洞窟の横において一晩たった翌朝、コンテナを取りにいきましたら、洞窟のところにいて外を見ていました。急いでまた家に戻りぶどう、胡桃、キャットフード、水をもってまた洞窟のところへいきました。洞窟の奥に入ったのか、姿はありませんでした。入り口のところに食べ物を置いて離れました。そして茂みを歩きながら、洞窟に落ち着いたようだなあとホッとしました。

また一日経った今朝、洞窟へ出かけましたら食べ物はなくなっていて、水もなくなっていました。また食べ物をおいて家にもどりましたが、夕方暗くなってリビングのデッキを見ましたら、なんと例のアライグマがいるではありませんか。そこで、私はこう思ったのです。動作はゆっくりだし、なんとなく病気に見えるけど本当は病気でなくて、障害をもって生まれてきたのではないかと、、、。食欲もあるし、こうしてまた我家を訪れることができたのですから。 それで、とにかくできるだけ面倒をみていこうと(自然なかたちで)思っています。

2001 12/03

第127回 頭のいい蚊

用心しているせいか、めったに家の中に蚊が入ってくることはないのですが、ドアの開け閉めの時にスッと入ってくる蚊がいるようで、電気を消して休むと例の独特の羽の音がします。そうしますともう蚊を退治しないことには眠れないわけで電気をつけ、眼を凝らします。蚊にも頭のいいのと悪いのがいるようで、頭の悪い(言い方があまりよくありませんが)蚊は白い壁にとまっているところを見つかってしまいます。

ところが、頭のいい蚊になりますと、天井や手の届かない高さの位置にとまったり、クロっぽいバックグラウンドのところにひそんでなかなか見つかりません。やっぱり頭のいい蚊というのは、人間は多分こうするだろうという予測をたてて行動しているのでしょうか。いやきっとそうに違いないと思うのです。ですが、やはり人間はその上をいきますから、一度頭のいい蚊の行動を知るとそれから学んで、次にはちゃんと彼らをみつけることができるのです。でもすごいと思いますのは、止まった気配を察しパッとどんなにすばやく手をおろしてもなかなか彼らを打つことができないことです。空気の動きでわかるのでしょうか。たいしたものです。

2001 12/05

第128回 猫の心理

ものすごい寒波が今晩やってきているのですが、外猫の5匹のうち3匹はガレージを住処としてそこに3つのベッドを用意して、アンカが入っています。そしてもう1匹はスクリーンポーチに防寒ベッドがあり、最後に1匹は東の外壁に防寒ベッドが用意してあります。ガレージの2匹は落ち着いているのですが、他の2匹がどうも落ち着きがないので困るのです。寒い冬、ヒーターの入ったベッドで寝るのは気持ちがいいという考えが定着しないのです。

雨にぬれても植木の下にうずくまっていたり、夜ベッドが空なので寒いなか外にでて名前を呼んでみてもどこへいっているのやら、、、。今日の朝のように冷たい雨の日、庭木の下から抱いてポーチにつれてきてタオルで乾かして、あたたかいベッドにいれてもでていってしまう。 ここなら暖かくフワフワで居心地がいいという考え方がどうしてインプットできないのか、本当になんとか彼らに学んでほしいと思っているのです。猫の心理はどうなっているのでしょうか。

2001 12/07

第129回  男の城

日本ですとガレージというのは車を置くところ、しかもスペースは車がやっと入るくらいしかとれませんが、アメリカはその点スペースだけは余裕がありますから、ガレージというスペースは単に車庫だけにとどまらず様々な用途に使われています。壁に並べられた大工仕事用の工具、もっとアドバンスになりますと、電動工具が結構ならびます。それに芝刈り機、ブロウアー、庭仕事に使う用具、なども置かれることになります。

アメリカではハンデイーマンと称される何でも自分で修理する男性が多いので、そういう方のお宅では、ときに、車は車庫から出され、かわりに大工工具が車庫の真中に設置され、ワークショップとなるようです。先日は、バンドに入っている中年の男性、どうしてもドラムの練習をしなくてはならず、車庫の半分を部屋に改造し、カーペットを部屋一面(天井、床も)にしきつめ防音とし、完成後、うれしそうに思い切りドラムをたたいていました。ガレージは男の城というイメージが私にはあるのです。

2001 12/10

第130回 MUTTS

日本の漫画、アニメーションは今や世界に誇るものとして存在します。日本のアニメーションを参考にこちらの若者たちもいろいろ勉強したり、独自のアイデアでアニメーションの分野を開拓しているようです。アメリカの新聞は日本のように一冊になっておらず、総合、スポーツ、ビジネス、社会、求人など4,5冊が一束となって売られていたり、配達されたりします。日曜版は普通の日よりもかなり厚めの束となっていて、朝食をとりながら、朝食後などにゆっくりと新聞を読むわけです。

日曜版にコミックといってたくさんの漫画があつまった一冊(一冊と申しましても新聞の大きさで、4ページぐらい)が入っています。日本の4コマ漫画のようなものが15人くらいの漫画家によって描かれています。スヌーピー、デイルバート、などは日本でもおなじみかと思います。私の一番好きな漫画は「MUTTS」といって猫と犬が主人公の漫画なのですが、作者は自然保護、動物保護などにとても関心をもっていて、読む人にさりげなく社会風刺を伝えたり、問い掛けたり、考えさせたりしてくれます。とても可愛い漫画です。日本でもきっと人気が出ると思うのです。

2001 12/12