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第161回 魚が食べたくなったら

ほとんど魚を食べることがなくなりました。まず新鮮な魚が手に入らないことが第一だと思います。冷凍した魚はありますが、やはり日本の魚屋さんやスーパーに売られている魚を知っているだけにどうしても躊躇してしまいます。魚が食べたいなと思ったらだいたいサーディーン(オリーブオイル漬け)の缶を開けてなにかすることにしています。

手っ取り早いのはサーディーンをそのままそのままマスタードを塗ったクラッカーにのせてピクルスをつまみながら食べます。ちょっと時間があったり、きちんと食べたいときは缶の中のオイルを少し使ってサーディーンをいため、みじん切りのしょうがとねぎをいれて醤油、酒で味付けしてご飯の上にかけて食べます。まだやったことはないのですが、甘がらく煮てもいいのではないかと思います。いろいろと苦労があるのです。

2002 3/08

第162回 リーダー

冬になりますと群れになってすごす鳥が多くみられます。まずゴールドフィンチ、シーダーワックス、ロビン、ブラックバード彼らは代表的です。リーダーがいるのでしょうが、どの鳥がリーダーなのかじっとみても分かりません。リーダーはどう決まるのでしょう。一匹が飛び立つとそれに続くように見えるので案外リーダーはなく、反射的に一番先に行動とった鳥にみんながあわせるのではないかと思ったりしています。

人間社会のリーダーはなるべくしてなった人だと思います。リーダーに向いている人といない人がいるようです。リーダーになると様々な苦労があるようですね。鳥の社会は各々が文句をいったり、反抗したりすることがないと思うのでリーダーになるのは案外楽かもしれません。餌が少なくなるこの季節、みんなで行動すると元気づけられますし、孤独におちいることもないでしょう。今日もたくさんの鳥の群れが頭上を通りすぎていきました。

2002 3/11

第163回 猫の舌

猫舌といいますと、熱いものが苦手ということを思い浮かべますが、私は12匹もの猫を飼うようになって猫の舌は「まずいものは食べない主義」という意味を考えるようになりました。でもどちらかというと、猫の舌というより猫の鼻かもしれません。匂いをかいで気に入らないとどんなにお腹がすいていても舌をつけません。たいしたものです。いつもあげている餌でも工場でつくられた時に材料の混合が違ったのか、あるいはフォーミュラが変ったのか、食べないときもでてきます。

同じ種類の猫の缶詰をまぜるときも製造番号(こちらではバッチナンバーという)を確認して同じ日におなじところでつくられた缶詰を混ぜませんと味がおかしくなるようです。ですから、猫の缶詰を購入するときは缶の底をみてバッチナンバーが全て同じ製品を購入することにしています。大変そうに聞こえるかもしれませんがけっこう慣れるものですし、買ってもそっぽをむかれるくらいならこのぐらいの努力は惜しみません。

2002 3/13

第164回 誰だ、穴を掘るのはっ!

朝鳥の餌をやりに庭にでてあるきますと堅い土に直径4センチくらいの穴がそうですね、深さ5,6センチくらいまで掘られているのをこのごろよく見かけます。いったい誰が夜中に穴を掘っているのでしょう。 モグラではないと思います。困るのですこういう掘り方をする動物は必ず出口を何箇所かつくることになっているので、もしトンネルが完成しますと、雨が降ったとき、雨水が穴を通ってゆきながら土も流してゆくためどんどん穴が大きくなってゆくのです。

南側にはこの穴がたくさん見られ、とうとうチャールズおじさんに応援をお願いして穴を掘り返し、その部分にしっかりと土を詰め込む作業をすることにしました。地下の穴がどれだけのスケールなのかちょっと気になっています。とにかく明日からこの土堀作業をはじめることにしますが、当分作業はつづくことになるでしょう。まったく誰だ、穴を掘るのは!といいたい心境です。それにしても我家の外猫はせめて夜の警備、怠らないようにしてほしいものです。昼間寝ているのですから。

2002 3/15

第165回 強さ自慢

たくさんの鳥が餌をついばんでいますが、ちょっとした何かの気配がありますといっせいに飛び立ち木の上のほうに止まったり、離れた木に移ったりと鳥たちはとても警戒心が強いようです。でもよくみていると、ほとんどの鳥は同時に飛び立つのですが、中には強さを自慢しているのか、2,3匹飛び立たずにいる鳥が見られます。もしかしたら身体の調子がよくなくて早い動作ができないのか、それともハンディキャップがあるのか、それとも目が見えないのでしょうか。もしかしたら理由があるのかもしれませんが、私には自分の強さを誇示しているように見えてしまいます。

鳥たちは猫が来たら勿論パッと飛び立ちますが、リスには反応しません。また身体の小さな鳥は大きな鳥がきても飛び立ちません。 きちんと見分ける何かがあるのでしょう。私は毎日餌をあげているのでもう分かってくれてもよさそうですのに、いつも私が来るとみんな飛び立ってしまいます。そろそろ私が来ても逃げないで欲しいものです。でも野生で生きていくにはそうするしかないのでしょう、きっと。

2002 3/18

第166回 木の涙

春がもうすぐそこまできています。今朝は一寸冷え込みましたが春のにおいは分かります。我家にはリバーバーチという樺の仲間の木があります。白樺は寒いところに育ちますが、このリバーバーチは暖かい地域を好みます。木肌は茶色で紙を貼り付けたような表面で、紙をはがすように皮をむくことができます。この木は落葉樹でまた枝もよわくちょっと手がかかる木なのですが、その面白い木肌とかわいい葉っぱが人気です。

春がくるころリバーバーチは泣くのです。冬眠からおきて根から吸い上げた樹液が木の上に上がっていくとき、キツツキなどに傷つけられた傷から樹液がもれてそれが涙のように落ちてくるのかもしれません。かなりの樹液を地面に落とします。この時期はアメリカの北の方の地域ではメープルシロップ作りが始まります。この樹液をとって煮詰めてメープルシロップにするのです。毎年あるシュガーハウスから1ガロンのメープルシロップを取り寄せるのですが、その時期がきたようです。我家では1年にちょうど1ガロン消費しているようです。木の涙は甘いのです。

2002 3/20

第167回 三銃猫

12匹の猫のうち3匹がオス猫で、このたび最後にやってきたトラが前からいたタビとカプチーノに受け入れられて我家には三銃士ならぬ三銃猫が誕生しました。 飼い主のひいき目かもしれませんが、なかなかハンサムな三銃猫です。毎朝食事が終わりますと雨さえふっていなければ三匹で連れ立って冒険にでかけます。2軒先のお隣さんのところでかなり大きな木(4,5階建てビルくらいの高さ)が倒れもちろん人間でもゆっくり丸太の上を歩くことができますが、この三匹は毎朝その丸太の上をあるいて向こう側にいくようです。お隣さんの奥さんがいつも目撃しているのです。

3匹の力関係の優劣はないようで、バランスがとれているので助かります。夕方や朝方薄暗いとき彼らは狩をすることを覚えました。一匹が獲物をとらえると他の二匹がそばにきて、三匹で獲物をとりかこみ会議をします。今日も夕方三匹の会議が梨の木の下で行われていたので、きっと何かをつかまえたなと思い近づきましたらやっぱりいました。カエルでした。 私はパッとカエルをつかまえて池に逃がしてあげました。三匹は私の早業に戸惑って獲物を捜しています。私がその場を離れたあと、三匹はなおも会議を続けていました。

2002 3/22

第168回 たった一週間の春でした

まあ、今年の春のなんと短かったこと!!!約一週間でした。今日は3月の第3日曜日です。この暖かさでまだ咲いていた冬の花と春の花が一緒に咲いて庭は見事ですが、花を楽しむ期間は短くなってしまうかもしれません。やはり、だんだんと次から次に咲いていく花を楽しみながら季節の移り変わりも感じたいものです。なかなか自然はきまぐれです。

野鳥にしても同じ気持ちだと思います。夏を北で過ごす鳥たちは旅支度を急いでしなくてはなりませんし、慣れない暑さは体調にも影響するかもしれません。外猫たちも日中グターっとコンクリートのドライブウェイにのびていました。今日の朝は窓の外側が一面水滴におおわれてまるで曇りガラスのように外の景色が何も見えませんでした。ありがたいことに、夕方はすごしやすく、暗くなるまで庭にでていました。

2002 3/25

第169回 よくあること(猫編)

猫はよく吐きます。毛づくろいをするときに飲み込んだ毛が体内に入って毛玉になってしまい、それが消化されずに吐き出されることになります。いろいろな吐き方がありますが、我家の猫は「これから吐くよ〜」という前置きがかなり長いため、対応できるので助かります。チビとクロはめったに吐かないのですが、この2匹は吐き気がすると唸りながらせわしなく動き回りますので余計によくわかります。

吐く直前には低姿勢になり、頭を下げ体全体がぜん動運動をおこし何度かぜん動運動があったあと吐くのです。ぜん動運動が開始されますと私はすばやく新聞紙をとりに走り四つ折にした新聞紙をその猫の前に差し出しますとほぼ95%間に合います。間に合わないとしまつがたいへんなのです。夏はよく毛が抜けますのでブラッシングをしてあげたり、毛を消化するペースト状のなめ薬(飲み薬でなく)をあげますと大分いいようです。人間でも吐き気というのはつらいもの。猫とて同じだと思うのです。

p22002 3/27

第170回 完璧な夜

カレンダーを見ると明日の3月28日が満月らしいのですが、今日27日の水曜日の夜のお月様は真ん丸でとても大きく美しいです。夫の帰りを待つ20分くらい外に出て三銃猫と腰掛けてお月様を見ていました。見ているうちにお月様はどんどんと昇っていってあっという間に大分高い位置いってしまい驚きました。 腰掛けていた横の雑木林の暗闇をじっとみているとホタルがちかちか光を放って、遠くでは虫の声も聞こえてなんだか秋のような感じがしました。

寒くもなく、ちょうどよい気温で空は澄み切ってお月様と星たちが美しく輝いていて、月明かりにはなみずきの真っ白い花が浮かんで見えて、今日のような夜を完璧な夜というのではないかと思ったのです。 何処にいてもみんながみんな同じお月様を見ていると思うとなんだか不思議な気がします。アフリカでも、フィンランドでも、南極でも、ハワイでも、アラスカでも、モンゴルでも、足利でも、そしてミシシッピでも見ているお月様は同じなんですね。

2002 3/29

第171回 天敵

昨日の夕方一仕事終えて夕陽が沈みかけてきたころ我家の三銃猫と一緒に木の根元に腰掛けていましたら、突然バサバサという音と共に何匹ものキジバト、カーデイナルや他の鳥が一斉にこちらに向って飛んできてビックリしました。同時に三銃猫たちは鳥と逆方向に一目散に走っていきました。私はなにがなんだか分からず猫の走って行った方に目をこらしていましたら、ある猛禽がカーデイナルを襲ったようです。カーデイナルの悲鳴が聞こえました。心臓がドキドキしました。

それまで鳥の歌声があちこちから聞こえてのんびりしていたあたりが一瞬にして沈黙してしまい、カーデイナルの悲鳴と猛禽の翼の音がするだけです。猫が走っていったのを察して猛禽は抵抗するカーデイナルを肢でつかみ公園の方に飛んでいってしまいました。恐竜時代だったらありえたかもしれません。突然頭上から大きな怪獣に攻撃され捕まえられることを想像して、なんともいえない恐怖を覚えました。猛禽も生きるための手段ですから、良し悪しの問題ではありません。平和に暮らせる幸せを思いました。

2002 4/01

第172回 日本の春

御地も春たけなわの頃かと思います。こちらも一斉に花が咲き始め美しい眺めです。日本と同じく春は急にやってきて私たちは戸惑いました。春が駆け足で走り抜けていったかのように思われたような夏日が数日やってきたのですが、どうも忘れ物をしたようで、また戻ってきて今春の陽気にもどりました。以前にもお話しましたが、Vicksburgでは日本で馴染みのある植木をよく見かけますので、とても心が和みます。

でも私の育った故郷で見られて、ここではみられない植物はたくさんあります。ぎょうぎょうしい植物でなく、田んぼや野原で見かけた植物です。つくし、よもぎ、れんげ、などは代表選手です。つくしはひょうきんな様子でぴょこんと飛び出して見かけると楽しくなったものでした。一面ピンクのカーペットをしきつめたようなれんげ畑の美しさも忘れられません。蓬はなかなか見つかりませんでしたが、奇麗な色をしていました。どうも私の日本の春のイメージは子供のころ見た春の様子が頭にインプットされてしまったようです。最近はきっと様子も変っていることでしょう。

2002 4/03

第173回 リバーウオーク

この街を流れるミシシッピ川ぞいは住宅地となっており、斜面なのでその辺には今まで行ったことがありません。ミシシッピ川というアメリカの最大級の川が流れているのですからリバーウオークといわれるような遊歩道があれば理想的だと思うのです。公有地として扱えば行き過ぎた開発も防げると思います。川沿いにととのった遊歩道ができれば、家族連れが散歩したり、朝のウオーキング、ジョギングなどで市民も利用できます。観光が市の大きな財源となっているのですが、その点にも大きなプラスとなるような気がいたします。

観光開発は難しいプロジェクトですが、目的をはっきりさせたデザインが受け入れられたとき予想以上の成果が現れるように思います。正直いってあまり派手な開発はして欲しくありませんが、ミシシッピ川がせっかく流れているのですからもっと市民がミシシッピ川にもう少し近づけるようになればと思っているのです。

2002 4/05

第174回 しりっぱね

「しりっぱね」、というのは方言だったでしょうか。今では死語に近いことばだと思います。何故か急に思い浮かんできてしまいました。 道路がみんな舗装されている今「しりっぱね」を経験することはもうないようです。昔学校に通うとき通ったいくつかの道は舗装されておらず、雨の日は「しりっぱね」があがらないように気をつけなくてはなりませんでした。 今思うと、子供の頃しりっぱねをあげずに歩くことは至難の業でした。

特に冬は今のようなストッキングはなく、厚手の長い靴下で、穴が開いたら糸で縫って穴をふさいだものでした。しりっぱねは泥が混じった雨水でしたのでこの肌色の厚手の長い靴下にはねた泥水のあとがつくと気になって仕方がなかったものです。何故急に「しりっぱね」などという言葉を思い出したのかいろいろ考えてみたのですがどうも分かりません。しりっぱねをあげながら歩いたことは今では懐かしい思い出の一つとなりました。

2002 4/08

第175回 あるとダメなもの

和菓子はここではもちろん手に入りません。私は和菓子が大好きなのですが、なければなくても生きていけるものだということが分かりました。先日こちらに赴任した日本人の方が日本に一時帰って戻っていらしたおりに私が好きだというのをご存知でお饅頭と甘納豆をお土産に下さいました。大切に少しずつと思い小口にわけて冷凍しました。でもダメなのです。ついもう少し、もう少しとあると分かっているので手が出てしまうのです。

日本に住んでいたらきっと丸々とすぐに太ってしまうことでしょう。ですから和菓子はあるとダメなのです。なくなるまで食べてしまうので。でもケーキとかチョコレートとかアイスクリームですといくらあっても大丈夫。全然平気です。これらは夫にとってあるとダメなものなのです。夫は特にアイスクリームに目がないので私は心を鬼にして家におかないようにしているのです。私の場合は欲しくても手に入らないのでとても助かっています。

2002 4/10